20 Jun 2011    夢から醒めた夢

久々の更新です。
半年以上も書いていなかったワケは長くなるので割愛させてもらうとして、
職場が移って現在のバイト先での話。
認知の進んだ利用者さんと接しているほうが、
普通っぽい方より気が楽というか、
クリアな利用者さんだと正直、何を話していいのかわかりません。
姑からの酷いいじめに耐え抜いた話、戦争や貧困で苦しんだ話、
またその人でしか為しえなかったであろう特殊な体験談談などなど、
どの利用者さんもいろいろ話を聞いてみると、
小説より奇なりなことが多い。
「本にできるんじゃないか!?」
そう思えるくらい昔の人は今の人より
人生経験の密度が濃いな~と思うことがしばしばあります。
しかし、それはそれ。
言ってしまえば、過去の話です。
今現在起こっていることのほうが興味が惹かれる性質なのもあり、
殴られたって罵られたってツバを吐かれ糞を投げつけられても、
いまこの瞬間に非日常を経験させていただけるほうがおもろいのです。
職場が移ってもそんな病み付き具合ですので、
好きになる利用者さんは一癖も二癖もある方と相成ります。
その彼女は、戦後の経済成長期にはすでに、
高級スポーツカーを乗り回す社長夫人であり、
指輪とネックレスはゴールドが好きだったとのこと。
その後、独居での車椅子生活になり生活保護も受けられ、
現在は要介護の度合いも高くなり入所されたのですが、
まだお若いこともあり、口も達者です。
(でも入れ歯なのでほとんど何を言っているか判別できませんが)
やはりというか、彼女には問題行動という「暴言・暴力行為」があり、
職員に殴りかかっては暴言を浴びせ(しかし何を言っているかわからない)、
他利用者さんからも「うるさい!」など文句を言われた挙句、ふてくされて寝る、
というのが1日の行動パターンなのです。
新人の職員には必ずや彼女からの洗礼を受けるというのが通過儀礼となっており、
しかし物好きな僕ですので洗礼的なものは悦んで受けさせていただきました。
それが功を奏したのか、
なんだか彼女がおとなしくなってきたある日、夜勤の当番でした。
朝の4時。
朝食の下ごしらえを終えてひと段落して仮眠していた頃、
ふと気付くと彼女がふがふがと何か言っている。
ベッドに近づいてなんとか解読してみると、
「お前さん、ベッドに寝ろ」
というのです。
「え!? ベッドに、ですか?」
というとコックリ頷かれます。
「わたしはもう充分眠ったから床に降りる。お前さんはここに寝ろ」
というようなことを言われながら、
なにやら指差す方向に目を向けると、そこには座椅子がありました。
「わたしは座椅子に横になるから」
という意味らしいのです。
そうこうしているうちに隣に寝ていた利用者さんが
もぞもぞと起きてしまわれ、
今度は、
「○○ちゃんの面倒を見てあげなさい」
という意味のジェスチャーをされる。
「あなたが起こしたも同然でしょうに…」と思いながらも
入眠介助をして戻ってくると、
彼女はまだ眠らず、しかと目を見開いている。
僕が寝るまで起きているつもりのようです。
しかも、その目や顔つきはいつもと何かが違いました。
とにかく、引くに引けなくなってしまったので、
「…じゃあ、30分だけ失礼します」とお礼を言い、
床に就かせていただきました。
初めてです。
利用者さんに入眠介助されたのは…。
その話を夜勤明けに早番の職員に話すと、
彼女は以前、僕と同じくらいの年の息子さんを亡くされているとのこと。
彼女は夢から醒めた夢の如く、
母の面持ちで僕のことをその彼と勘違いしていたのかも知れません。

06 Nov 2010    結婚運

某利用者さんは、いわゆる「おせっかいばぁさん」で、
会うたびに「いいお相手は見つかったかしら?」と、
いつも僕の「結婚」のことを気に掛けてくれます。
彼女は他のデイサービスにも通われていて、
「あなたに合いそうないいひとがいたから、今度お見合い写真を頂戴ね」と、
勝手に仲介役に徹し、話を進めてくれたりします。
その縁談は会社外ということで一応、
施設長に許可を取り、
そのおせっかいな彼女に実際に写真をもっていってもらい、
しかし一向に相手から何にも返事が来ず、
という残念な結果に終わりましたが。。
彼女はまた手相を見るのが好きで、
見てくれてはいろいろと助言をしてくれるのですが、
なぜか気に掛けられていた「結婚」や「恋愛」、「異性」のことなどは、
まったく触れてくれない。
……手相的に結婚はまずいのかな?
と思っていたこともあり昨日、
新宿の某占い師さんに手相を見てもらってきました!
見てもらうのは、もちろん結婚運。
人生初の本格的な手相占い、というだけでもとても楽しみだったのですが、
平日なのに少なからず行列が出来ていて、
なんといっても千円は良心的。
また、ひとり20分くらいかけてじっくりと見てもらっていて、
何を言ってもらえるのかと待っている間、どんどん期待は高まり、
並んでから約1時間後にようやく僕の番が来ました。
その外見は普通のおばちゃんで、
ニコリともしないその態度は逆に、
占い師としての貫禄を醸し出しているように見えました。
さっそく手を差し出し、見てもらうことに。
「あなたは意外とロマンチストなのよね」
「あ、そうかも知れません」
「何か気になっていることは?」
「結婚運なんですが」
「そうね、29歳の時に何かあったでしょ」
「(その頃はまったく何も無かったのだが流れを悪くするのもなんだと思い)えぇ、あったりなかったり、ですかね」
「シャイでガードが固いのもあるけど、『出会い線』はなかなかいいわよ」
「そうなんですか!? 次の出会いはいつ頃ありますか?」
「時期的には『今』なのよ」
「それはどういう出会いなんですか?」
「そうねぇ。『婚活』でもしたほうがいいわよ。婚活で出会いを見つけるの」
「(まさかの超無難すぎる占い結果に唖然としながら)……こ、婚活ですか?! 具体的にはどんなことをすればいいんでしょう?」
「結婚相談所とか」
「(…もはや占いなのかどうかも怪しくなってきたが)どういう女性がいいんでしょうか?」
「年下がいいんじゃない?」
「…………どうもありがとうございました。がんばります」
「はい。女はね、結婚したがってるものなのよ。がんばって」
ロマンチストにいっさいのロマンもくれない結果でした。
しかも占いにかかった時間はわずか5分。
というのも、並んでいたのはその間も友だち同士キャッキャ言いながら、
あーでもないこーでもないという感じの乙女たちであり、
占う方に話すネタがないとなると、すぐに打ち切られるということも学びました。
そんな今日は友だちの結婚式の二次会にお呼ばれしています。
いざ、婚活!?

25 Oct 2010    「怒」を引き出すサービス

人生において、雑誌編集者→介護職員への転職がもたらしたものは、
利用者さんとの出会いなど数あれど、
「パートのおばちゃん」との出会いは、
また刺激的なものがあります。
編集者時代はもちろん還暦近い自分の親の年齢の女子と、
一緒に仕事をする機会なぞなかったもので。
今現在、その齢六十近いおばちゃんと、
現場仕事を共にやりくりしているのですが、
その彼女がまた毒舌なんです。。
その毒舌の大半は「下ネタ」であり、
ここでは書けないのが残念なくらいくだらな過ぎてクオリティの高い下ネタを、
僕と利用者さんに平等にぶちまけてくれます。
フロアが慌しくカオスになっているとき、
彼女が忙しくピリピリしているとき、
そして胃薬を飲んでいるとき(毒を吐いて、なお胃が痛いとは…)などは、
無差別テロのごとく毒舌の嵐がフロアに舞います。。
下ネタ以外では「田舎者」への毒舌があり、
地方出身者の某利用者さんは、
食事の際に食べ物を散らかしながら食べる癖(テーブルを挟んで向かいの利用者さんにまでご飯粒が飛ぶ。。)があり、
そういうときは決まって「この田舎もんが!」と毒入りスパイスを味付けしてくれます。勝手に。
その利用者さんも最初は黙って聞いていたのですが、
次第に顔が険しくなり、
「馬鹿にするなよ~!」
と歯を喰いしばり、
毒舌と同じく治らない癖であろうマナーの良くない食事のされ方を続けながら、
渋々とご飯をたいらげます。
(そういうときは必ず同じく地方出身者の僕は見方に付き言い返すようにしています)
ある程度の年齢に至っては、
ましてやデイサービスに来られる年齢に至っては、
己の癖を治すよう矯正されることは、
その人の人生を否定されるようなものではなかろうか。
そして、たとえ言葉尻良く指摘しようとも治らないのを知ってか知らずか、
ひたすら毒を盛り続ける彼女。
またその後には、
僕への毒舌を、さっきまで毒付いていた彼女と一緒に仲良くされる、
というフォローを忘れないのも、
さすがはベテランな彼女なのです。
世間でいうところのデイサービスは、
穏やかに何事もなく平穏無事に1日を過ごされることが、
利用者とその家族、ケアマネや介護者が最も望むところだと思うのですが、
本当にそれだけでいいのかと最近思います。
デイサービスの主役は「人間である老人」であり、
人間は感情の生き物であり、
喜怒哀楽あるのも当然であり、
また介護者にも喜怒哀楽があります。
その「怒」を旨く引き出す術を彼女は持っているのです。

06 Sep 2010    元気になって、またボコられる。

彼と出逢って1年と半年が過ぎた今、
少なかれど様々な方々との出逢いや別れを経験し、
色々なことを知ってしまった僕は、
彼の性格から滲み出る味わいを、
他の誰かと比べてしまうことも覚えてしまった――。

ある友人に「最近のずっきーのブログ、緊張感ないね」と言われてしまいました。
思うにそれは、ブログ開始当初のひと癖ふた癖どころではない
利用者様たちに出逢ってしまった頃の
ショッキングな場面に慣れてしまった、
というのが大きな要因だと思います。
ある利用者様においては、お風呂に入れて差し上げてるのに、
思いっきりグーで殴られ、腕や手の急所を瞬時に見つけられてはつねられ、はたまた裏拳を使われ、
しかもそれは全て失禁されたうんこの付いた手で、というオマケ付き。
風呂場を出たらなぜか身体中ボコボコになっていた(しかも臭い)という
「リアル介護」の洗礼的現場に悲しいかな、
今では慣れてしまったのでしょうか。
最近、その彼が元気になってきて、というか元気が出過ぎて、
容赦極まりない暴力を再び奮い出したのです。
(といっても当時の力が無かったのが、また寂しいワケなのですが…)
彼が久々に奮われた暴力ということもあり、
施設長に「最近の彼、また暴力がすごくなってきてるんですけど…」
とグチったら、
「あら、元気な証拠じゃな~い」
とあっさり。
…還暦近くの女性パート職員も身体をアザにしているのでその時は正直、
利用者様優先の過ぎるコメントだと思ってしまいましたが。
でも最近、先の友人の助言もあり、
少し省みる点があるのではないか?
と思うようになりました。
そもそも認知症のひとたちは、そのひとが生きてきた、
いわば「生き様」的な言動や行動が、奇しくも問題行動とされることが多く、
その問題行動如何によっては施設退所の旨の誓約書を、
家族に書かせる施設もあるほどに手が付けられない。
まだその彼は手が出る分、痛臭いけど分かりやすく、
他の某利用者様の言動での問題行動(「先生!」とか。。)のほうが、
あとあと尾を引くというのもリアル介護の現場で知りましたが。。
しかし不思議と、一見というか実際癖のある利用者様のほうが、
長く付き合えば付き合うほど、
その人となりの性格の「コク」という味わいが分かるものなのです。
それは介護だけではなく恋愛にも言えるのではないでしょうか。
自分は文章で綴るほど恋愛に長けてはいないのですが、
リリー・フランキーさんが『週間プレイボーイ』で連載していた人生相談の本を最近読んだのです。
その中で、ある相談者の男が、その元彼女のマンガ(ワキガにあらず)を、
どうしても好きになれなく別れてしまって…といった相談がありました。
リリーさんは、なんてもったいないことを! と渇を入れるのですが、
こと恋愛に関しては、些細なことやめんどくさいこと、あるいはなんでもないことほど愛しく思えるのと同様、
マンガもコクとなるほど深淵を深めていないとお互いが分かり合えないままで、
セックス以外の恋愛の場面も楽しめないんじゃないかと思った次第なのです。
そういうことは介護においても然りであり、世間一般で言われてしまう問題行動というものを、
改めて疑い、自分なりに受け入れることは言うは易しでカンタンではないけれど、
バッサリ切り捨てるとなると、それこそが問題行動?
ちょっともったいなと今では思うようになりました。
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30 Aug 2010    人生を二度生きる 2

以前、認知症という病は「人生を二度生きている」ようなものだというようなコトを書きましたが、
他の利用者さんで「奇跡の生還」を遂げた方がいらっしゃるので、またご紹介したいと思います。
魂というものは本当に存在するのだろうか?
彼女が初来所したときのことは今でも記憶にあります。
入浴介助の際に、その萎み切った垂乳根を指差し、
「こんなんなっちゃったよ~(笑)」と、
自らの老いをネタにするほど未だ元気でいて、
齢90越えにしてはシッカリされていた印象でした。
しかし、その声は擦れていて弱々しく、
お風呂上りに身体を拭いてあげていると、
「こんなに親切にしていただいて、冥土の土産にするよ。もう呼んでるからさ(笑)」
と随所随所に自虐的な「死のネタ」を散りばめられ、
「早く向かえに来ないかなぁ…」と口癖のようにも言われていました。
それから数ヵ月後、短期宿泊の機会があり、
しかし来るなり発熱を来たしてぜぇぜぇと寝込まれ、
即入院されました。
彼女は高齢者ならばカンタンに死に至る病に侵されていたのです。
それからさらに数ヶ月したある日、
ご家族からの電話で退院の報せを知ったのですが、
再び来たいとのことでビックリ。
「まさに奇跡。でもまた即入院なんじゃ…」と、
そのときはそう思わずにはいられなかったのですが…。
なんと何喰わぬ顔でお代わり飯を何杯も喰われ、食事は毎食完食。
「パンが食べたいから買ってきて!」
「甘いモノないの?」
「扇風機もうちょっとこっち向けてよ!」などなど…、
あれやこれやとわがままという名のオーダーを大声でまくしたてる彼女。。
見ると、その顔つきがまず違う。
元気になった、覇気が出ている、体力がみなぎっている、
などという次元はとうに越えていると思われ、
「魂が入れ替わった」
としか言いようがない。
もし魂というものがこの世に存在し、
彼女のその魂が入れ替わっていたのなら、
以前の魂であった自分を誰しもが覚えていないのと同じく、
彼女も覚えていなく口外できないのは当然のことであり、
認知症の彼女でもあるので、さらに覚えていない。
ここに生きてこそ言える、「死人に口無し」という言葉あり?
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21 Jul 2010    先生!

僕のことを奇しくも「先生」と呼んでくださる利用者様がいらっしゃいます。
彼女は、かつては育ちの良いお嬢様だったんだろうなという風情でいて、
持ち前の明るさでもって他利用者様とも気軽に友だちになれる社交家でもあり、
時には好きな演歌歌手の歌を皆に披露してくれる魅力溢れる方です。
いつもの1週間ぶりの来所の際には、
「あらまぁ! 先生! 元気でいらっしゃった?
○○ちゃん(彼女のご家族)が、
それはまぁ先生に『よろしくお伝えくださいませ』と申しておりまして、
はぁ~(溜息交じりに)、またこんな風にお逢いできるなんて…、
こんなにうれしゅうことはなかろうに…」
といつものことなんですが、大げさに再会の喜びを表してくれます。
彼女を入浴介助やトイレ誘導をするときには、
「まぁ! 先生にこんなことやっていただけるなんて、うれしゅうございますわ~!」
と車椅子に座られているお身体を揺らしながら歓喜の小躍りをされます。
(ちなみに俗に言う「小躍り」なのですが、現にあることを彼女から教わりました)
そんな彼女ですが、来所すると決まって「帰宅願望」の不安症状に駆られます。
「先生、今日は何時に帰れますか?」
「さっき来たばっかりじゃないですか」
「そうなんですけど…、○○ちゃんに電話してくださいます?」
「○○さんはお仕事中ですよ。○○さんのお仕事が終わる日にお帰りなんですよ」
「あらまぁ、そうなんですか…。それならしょうがないですわね」
と最初のうちは聞き分けがよいのですが。。
不安症状がマックスに達したときには、
「先生、先生! いつになったら帰れるんですか?
先生っ! もう! セ・ン・セ・イったら!!」
とボーイを呼ぶように手を「パチパチ」と叩かれ、
「まったくもう、先生ったら…、こんなに酷いことをされて…、
わたしなんかを貶めてもしょうがないでしょうに…」
と、なにやら僕が彼女の帰宅を妨害・阻止しているようなことを言われます。
挙げ句には、
「もういい加減こんなゲーム、やめましょうよ」とも。。
ゲームって…。いったいなんのゲームなんでしょうか??
食事の際には、「この毒盛りを食べさせようとしてもムダです!」と激昂され、
「先生を信じて来たのに…、こんなに酷い目に遭うなんて思ってもみませんでした…。
もう先生とも終わりですね…」と絶縁されてしまいます。
まだ来所されて3時間くらいしか経ってないのに…。
そんなこんなでも帰宅する日時がやってくると、
「あぁ…、本当にもう先生を信じてよかった…」
と安心しきったお顔で手を振られ、ご家族の待つご自宅に帰られます。
感情に乏しくなり、さらにご高齢になると、
人間は塞ぎ込みがちになられるのは想像に難しくないと思いますが、
こんなにも喜怒哀楽を表している彼女は、
一般的には認知症状の負の面である「帰宅願望」に生かされているのではないでしょうか。

20 Jul 2010    人生を二度生きる

以前、のど飴をねじ込みながら「今生の別れ」を告げてくる利用者さまのことを書きましたが、
その彼女を家族が待つご自宅まで車で送っていくときのことです。
「いつも遠いところまですまないねぇ」
「いいぇ、それほど遠くもないですし、気にしないでくださいよ」
「でさ~、あんたはどこに住んでるの~?」
「ここからもうちょっと離れたところです」
「そ~、じゃあ帰ったらお嫁さん待ってるんだ~?」
「いえいえ、まだ相手がいないんですよ~」
「へ~! そうなの~!?」
「えぇ。誰か紹介してくださいよ(笑)」
「じゃあ、あたしがさ~、あんたんち行って、家でごはん作ってあげるわよ~!」
「えぁ!?」
「これからあんたんち行ってさ~、おにぎりでも作ってさ~。もう住んじゃおうかしらね~!」
「でも、これから娘さんの家に帰るんじゃないですか?」
「え~? いいわよ~。娘には言っておくからさぁ~」
「…娘さん、怒らないですかね?」
「娘はもう旦那みたいなのがいるしさ~、いずれくっ付くんじゃないかな~」
「いや、もうお孫さんいますよね?」
「まだいないよ~、だからあんたの子ども産んじゃおうかしらね!」
…という日常ではまずありえない会話を繰り広げてくれました。
で、子どもを産める年齢ではないのはもちろんなのですが、
冗談なのか本気なのか「産ませてよ!」という熱烈アピールを頂きました。。
では、いったい彼女が自覚している年齢はいくつなのかと思うときがあります。
彼女は弊社の社員だと思っているようですし、
ある年齢で彼女の中での「自覚年齢」はストップしているみたいなのです。
もし、その自覚年齢が彼女の過ごしてきた「人生の黄金期」だったら、
過去を振り返り思い出に生きるのではなく、
彼女は彼女の一番美しかった時代を、
再び生きていると言えるのではないでしょうか。

19 Jul 2010    夢か誠か…

前回は「おしっこ爺ちゃん」の話をしました。
その彼は機嫌がいいときには、
♪誰が情けのほろ酔いきげん
 襟のルージュが ちょいと気にかかる
♪白いかもめが ちょいとささやいた
 港むすめに 惚れるじゃないよ
と好きな戦後の流行歌を披露してくれます。
興が乗ると決まって「ねぇ! この~、『ルージュ』っていったいなんなんだい?」と聞かれます。
「口紅のことですよ」と何十回と教えても、その倍返しで聞いてくるのも、お決まりですが。。
昭和一桁生まれの彼なのですが、「やばいね!」「ナイス!」といった若者コトバを連発し、
「トイレはこちらですよ」
「やばいね!」
というような使い方がとんちんかんでも、
そのとんちんかんぶりが愛嬌のある彼。
そんな戦後一桁から00年代、ひいては2010年を旅した「おとぼけ男」な彼がある日、
ベッドから出てきて開口一番、
「この世は夢か誠か…、オレはもうわかんなくなっちゃったよ」と言われました。
「認知症なる宇宙」に放り出され、
この世が夢なのか、はたまた夢がこの世なのかわからなくなったのでしょうか。
確かに、「この世」の時間の流れが常人とは異なる時間軸で流れていると思われる認知症状は、
失礼な言い方を承知で言えば、たとえば動物と同じように時間の感覚が無い、もしくはズレているのかも知れません。
そんな来る日も来る日も「今日」であり「いま」な時間軸の中で生きる心地とは、特に日々時間に追われる現代人には想像に難しい。
しかし、時間という概念に支配された現代人の常識からいったん離れて考えてみれば、
時間も何も、そもそも「分」も「秒」も作り出されたものにしか過ぎない。
秒針は進み、刻一刻と時は過ぎ去るが、
実はそこには初めから何も無く、
ただ「いま」が在るだけ。
認知症がよく「神様のギフト」と呼ばれるゆえんは、
自然に還れるということなのかもしれません。

20 May 2010    鳩に餌!

利用者さまの中には、よくトイレに行かれる方が少なくないです。
ある利用者さまに「あれ? さっきも行きましたよね?」と聞くと、
「そうなのよ。(来所するまで居た)自分の部屋じゃなくて、
(環境が)いつもと変わったせいかしら?」と言われましたが、
某さんの場合は比較的、施設での寝泊りが多い利用者さまなので、
もういい加減、環境慣れしてもいい頃なんじゃないかな? と勝手ながらに思うのですが…。
というのも、いつも部屋から出てくると決まって威勢良く、
開口一番に「おしっこ!」と言い放ちます。
そう、トイレの場所が毎回わからないのです。
「おしっこ!」
「じゃあ、行きましょうか」
「こっち? どっち? トイメン(対面)?」
「あ、いつもの方ですよ」
「あたしゃ~、こっちの方が都合が良いんだけど(と逆方向を指差す)」
「そっちは玄関ですよ」
「そうなの? いつもこっちでしているけれど~、まぁいいか!」
頻尿気味な彼の「おしっこ!」誘導&介助をするたびに、こういった会話をするわけなのですが正直、
忙しいときは何度も繰り返される会話に、だんだんと僕は閉口気味に…。
そこで、もちろん他の利用者さまへのトイレ介助もあるので、
彼の「おしっこ!」という言葉に先手を打つべく、
「おしっこ! ですね! わかりました、行きましょう!!」
と「先手誘導」することが多かったのです。
彼は「う~ん、どっち? こっち?」と相変わらずなのですが、
だんだんと「おしっこを何度も付き合わせて申し訳ない」お気持ちなのか、
「なんで俺の『おしっこ!』をお前は知っているんだ?」という心苦しいものなのかはわかりませんが、
彼の中で何かが起きたのでしょう。
その日もいつものように「おしっこ! ですよね?」
と先手を打って聞くと、
「いや! ちがう!」
「は、鳩に餌! 鳩に餌をやる!!」
「え? ハトですか?」
「そう! 鳩!」
そう言うと彼はトイレには行かず、ソファにうなだれるように座り込んだのです。
トイレ誘導もコミュニケーションのひとつなんですね。

17 Mar 2010    今生の別れ

食器を拭いてもらったり、洗濯物を畳んでいただいたりする日常生活の雑務を、利用者様にお願いしてやっていただく「生活リハビリ」といったものがあります。中でも「食器洗い」が得意な某さんは利用者様の中でもピカイチで、来所された際には必ずやっていただいてます。
必ず、というのはもちろん押し付けでなく、むしろ彼女からその仕事を取ってしまい他の利用者様にお願いなんかすると、すねてしまう彼女なのです。挙句にはしくしく泣いてしまいます。
帰宅願望が強く出ていたある日には、ついには泣き喚きながら暴れ、しかしどうにもできなくて疲れきってしまい、ソファに腰掛けながら「…わたし、もう何年務めたっけねぇ…辞めさせてもらうかもしれないわよ…」とこぼし、またしくしくと泣いてしまったことがありました。そう、彼女の中では、彼女は弊社の社員らしいのです(皿洗い専門の)。
そんな彼女は甘菓子が大好きで、中でも「のど飴」が大の好物。暇があると職員と一緒に買物に出掛け、のど飴を2袋も買ってきては、「ほら、舐めな」とポケットの中に何個か捩じ込まれます。包装紙まで破いてくれて、のど飴が1/3くらい顔を出している状態の時はポケットの中がベタベタして正直困りますが。。また認知症な彼女なので、捩じ込んだことを忘れ、再度また捩じ込み、を繰り返されるといつの間にやらポケットには20個くらいののど飴が…。
ある日、いつものように彼女と一緒に食器洗いをしていたときのこと。ふと思って、食器を綺麗サッパリと洗い上げたお礼にと、その大量ののど飴を「取っときな」とポケットに捩じ込み返しで差し上げたのです。もちろん彼女は、自分で買って僕にくれたことなどは覚えていないので、さぞかし喜んでくれると思ったら、なんと号泣……!
一緒に居合わせた職員もビックリして「どうしたの? 某さん!?」と聞けば「もうあんた(僕のこと)は一生忘れないよ!」とのこと。。さらに「詰め合わせなんかを贈るからさ、あんたんとこの住所、後で教えて」とキました。詰め合わせって、のど飴の??
確かに、のど飴を捩じ差し上げたその後に帰宅する予定だったのですが、まさかこんな今生の別れを告げられるとは思ってもみませんでした。。
しかし、その数日後には上記の前述した出来事をまるまる忘れて来所し、再びいつものように食器洗いをしては、またいつものように僕のポケットにのど飴を捩じ込まれる彼女なのです。

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